ソフトウェア的には一段落、というかキリがなくなってきたので、むき出しだった「JMマザーボード」をCoffee Table に組み込んでみた。実際どんな感じかなぁ〜、と思って。
Tableは見た目は相変わらずショボイんだけど(恥)、う〜ん、それなりに面白いかも。今できることはこんな感じ。
・自分が(デジカメやケイタイで)撮った写真とか、いろんなプロジェクトで作ったスケッチや資料の写真をサーバーにあげてある(今はまだ100枚足らずかな)。
・それはメールの添付イメージとしてサーバーに送っていて、簡単なサブジェクトとテキストをつけてある(たとえば、"Hyde Park:Autumn in Hyde Park in London"とか)
・スクリーンには、サーバーからとってきたイメージが(基本的にはランダムに)ゆっくりフワフワと浮かび上がっては沈んで消えていく。
・イメージのどれかをポイント(今はマウス、最終的にはタッチスクリーンかなぁ)すると、その場で止まってユラユラしてる。
・もう一度ポイントするとまた動き出して、やがて暗くなりながら沈んで消えていく。
・2つ以上、同時にポイントすると、そのイメージの関連を記憶しておく。同じ組み合わせで見ていると、その関連が強化されていく。
・次に浮かんでくるイメージはポイントしたイメージに関連したもの、の確率が高い(メールのテキスト情報から単語を抜き出してTagとして保存している。そこから同じTagからRelationをたどっている。"Londonつながり"とか)。
・さわっていると、イメージが浮かんでくるスピードがじわりと早くなってくる。ほおっておくと、またゆっくりとしたペースに。
・ごくたまに、自分が撮ったんじゃないけど関係してそうなイメージがまじってくる(Tag情報から適当にFlickrからひっぱってきてる)。
・日本で奥さんがケイタイで写真で撮るとそれもリアルタイムで浮かんでくる(奥さんに、写真とったらサーバあてにメールしてねって頼んでおいた)。
・ときどき、読んだ本の表紙なんかも浮かんでくる(バーコードリーダーをつないで本のバーコードをスキャンすると、Amazonからカバーのイメージをとってきて、関連情報をTag化して一緒に記憶している。今はバーコードリーダーははずしてるけど…)。
できるコトはこれだけ。…って、一瞬、多い気もするけど、実際ほとんどインタラクションはなくて、ただ流れてくるイメージをぼーっと見てるだけ(どれかをしばらく止めることはできる)。それだけ。
で、それが気持ちいいかっていうと、意外に気持ちいい♪ なんだろうなぁ、パソコンで見る時ほど能動的じゃないし、テレビみたいに押し付けがましくない。「無意味にケイタイで撮った地面の写真」とかもあって、思いで深い写真ばっかりってわけじゃないから、ノスタルジーにひたるわけでもない。まだ、枚数が少ないけど(この今使ってるMacのiPhotoには5000枚ぐらい入ってる)、これが数千枚になったらどんな感じになるんだろう…(逆に多すぎるとダメかなぁ)。
何人かに説明してみたけど、あんまりピンと来てないみたいだった。説明するのは難しいよなぁ。僕以外の人からみれば、どれもが初めて見る写真、だからなぁ。僕が感じる、それぞれのイメージの「濃淡」みたいなもないだろうし。
でも、やってみて(少なくとも自分にとっては)なにか面白さの可能性があるのが分かってよかった。こういうのをやるはずだった。作って試してみないと、面白さが分からないもの。机上で考えて、もしくは3Dでモデリングして良し悪しが分かるような、そういうモノなら、なにも僕じゃなくてもいい。木を切って、プラスティック成形して、カタチだけの試作をつくって良し悪しが分かるなら、やっぱり他のヤツの方が優秀。でもね、今のテクノロジーをうまく使って、イロ、カタチ以外のモノの価値を探すには、やっぱりこういうのが必要じゃないの? 作ってみるまで、自分でも本当に全然分からなかった。まったく面白くないんじゃないか、と思って結構、不安だった(コケてたら、別のアイデアでやり直すのは大変だし)。だたの写真ビューワーじゃないか、とも思ってた。でも、なんか気持ちよさはある。今の状態だど、正直、すっごい面白いって程じゃないんだけど、何か可能性はありそうな、そんな感じはする。今は、まわりの誰も分かってくれないけど、まあ、いい。そういうコトをやりにきたんだから。カタチだけじゃないもの。カタチナキ、カタチ以上のプロダクト。
もうひとつ気づいたこと、仕様にできない(しにくい)価値。今のソフト開発って、要求分析とかしっかりやって、かっちり仕様化してから開発しましょう、って感じだけど。今回やってみたのなんかは、その「さじ加減」がやってみないと分からない感じだった。アルゴリズムもすごく適当、「適当に新しいモノ優先」とか、「適当に無関係なイメージをまぜてみる」とか、「適当なロジック」を「適当にちりばめて」結果的に気持ちいいトコロを探してる感じ。でも、ユーザーとして見ると、ランンダムさがどこかにある時点で、それ以外の部分の適当さ加減なんて分からないし、たとえそれがホントにデタラメでも、勝手に意味を見いだしちゃうんだよね( AIBOなんかもそうだと思うけど)。
これまでは、ユーザーインターフェイス(またはインタラクション)デザイナーがFlashかなんかでデザインしたのを、仕様化してコーディングって感じだったけど、そういう作る前に仕様書にできちゃうモノって、いくらがんばっても簡単にマネされそうだしね。なんか、こう、作りながら、試行錯誤しながら、気持ちよくなるように仕上げていく、何度も手を入れていくうちに、どこのロジックがどの程度効いてるのかよく分かんないけど、とにかく結果的には気持ちいい、とか、そういう作り方があっていんじゃないか、と。そういうのは、財産になるんじゃないかな、と。
随分前だけど、「はてな」のnaoya(おんなじ名前?)さんか誰かが、「よりよくなるようにその都度、機能を付け加えてきただけで、ちゃんとした仕様書なんて書いたことない」みたいなこと(記憶が不確かでウソかもしれないけど…)を言ってたような。ちょっとカルチャーショックだったけど、それも、アリかも。っていうか、そういうソフトウェアが実は強いのかも。昔は(今でも)、仕様書の無いコードは、「そんなもん引き継げるかっ!」ってコトになって、忌み嫌われたけど(笑)、最近、組み込み系でもいろんな制約が少なくなってきて、きっちり仕様ができれば後は体力勝負!みたいな気もするし(もちろん、全部がそうとは思わないけどね)。なんか、こう、ホントに付加価値の高いコードってなんだろ?と思うこのごろ。
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