「知的生産の道具」としてのBlog、CNET Japan Blog 梅田さんのエントリを読んで、自分でも少し試してみたあと、しばらく学生に戻るこの機会に、あらためて挑戦してみようと思う。
そんな試行錯誤の末、最近は、Blogツールこそが自分にとっての究極の「知的生産の道具」かもしれない、と感じ始めている。 |
http://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/001247.html
子供の頃からモノを作るのが好きで、なんとなく新しいモノを創るヒトになりたかった。 今、このロンドンのホテルの狭い部屋の、備え付けの机に向かってコレを書きながら、目の前の鏡に映る久しぶりに短髪にした自分の顔を見ると、その頃の気持ちが少しリアルに感じられる気がする。
昨日、語学研修で見た映画は"Dirty Pretty Thing"。天井からぶら下がったTVでやってるのは、オリンピック、イラク(ナジャフ)での衝突、スタートレック…。ロンドンでもposhだとされるこの辺の通りを歩くと、手入れの行き届いたビクトリア様式(だそうです)の建物のポーチの上のテラスで、ロンドンでは貴重らしいここ数日の日差しを楽しむ人たち。世界は不平等にできているんだなぁ、とあらためて思う。
"Dirty Pretty Thing"、面白いのでお薦め。
http://www.dirtyprettythings-lefilm.com/
そういえば、もっと小さい頃は、困っている人を助ける正義のヒーローになりたかったなぁ。ずるいヤツが嫌いだった。自分の無力さ加減をだいたい把握した今は、アフガンの、イラクの悲劇をニュースで見ても涙も流さない。自分の置かれた恵まれた環境にほっとする。もし仮に、何らかの方法で、全人類に豊かさを平等に再分配できたとして、自分や自分の家族に明らかに不利益なそのディシジョンに一票投じることもない。
でも、ずる賢く生きていい思いをするのを目指すのはやめよう。そのために、ゼロサムゲームに参加したくない。限られた量の豊かさを奪い合うゲームじゃなくて、豊かさを生み出すためにエネルギーを注ぎたい。生み出した豊かさの分を報酬として手にしたい。自分の望むものに見合うだけのものを、奪うのではなく、生み出したい。できるかなぁ? もちろん、その豊かさは一部の人しか享受できないものかもしれない。そのことは今は宿題にしよう。僕には、そして今はまだ誰も、豊かさを上手に再分配する手段もアイデアすらももたないから。
体力だけでは、僕が手にしている豊かさに見合うものを生み出せる自信はない。僕にあるのは、僕を生んで育ててくれたこの豊かな環境が、僕に教えてくれたもの。それが生み出すものが、(おおげさに言えば)人類全体の豊かさの量を(たとえ少しだとしても)増加させた時、それを「知的生産」とここでは仮に定義しよう。
これから約1年間、プロダクトデザイン(ってなに?)を勉強することになっている。 その前に、もう一度、ここに自分のスタンスを振り返って記しておくのもいいかと思った。これまでもそうだったし、これからも変える予定はない。これまで僕が生み出したものが、これまで僕が得てきた豊かさに見合うとは思えない。つまり、かなりの借りを作っているということ。一生をかけて、死ぬまでには、チャラにはしたいね。
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